カナロコ

掲載されている記事・写真は個人の閲覧に限ります。
各種媒体に利用する際は神奈川新聞社への申請が必要です。

かながわの記憶
 1946(昭和21)年

美空ひばり7歳の初舞台

11月25日

オール横浜総合芸能コンクール最終日の25日、磯子区に住む国民学校初等科2年生の加藤和枝ちゃんがウクレレを弾いて「小雨の丘」を歌い、来場者から拍手がわいた。後の「美空ひばり」の初舞台だった

天皇陛下横浜に行幸

2月19日撮影

1946(昭和21)年2月20日付の神奈川新聞は「天皇陛下、川崎、横浜両市に行幸」の見出しで「天皇陛下には、国民が終戦後の混乱から立ち直り、平和新日本再建のため、増産と復興に奮闘中の生産各職場を御視察のうえ、御みずから御激励、また戦災地の人々の復興への息吹をも直接ごらんになり、引揚げ邦人にお会いになるため、19日朝宮城を御出発」と記している。

全国巡幸は神奈川県から始められた。川崎の昭和電工、神奈川日産重工横浜工場を訪れた後、正午過ぎ神奈川県庁に到着された天皇陛下は県庁屋上から、内山県知事の説明で市内の様子や港湾施設を視察された。陛下の全国巡幸は1954(昭和29)年の北海道まで続けられた

(横浜市史資料室所蔵)

食糧の配給に並ぶ人々の列

撮影日不明

前年の凶作のため特に厳しい食糧難に見舞われた1946(昭和21)年。元日付の神奈川新聞1面には、天皇陛下が記者に「食糧事情など御下問」と見出しが躍り、その後、連日のように食糧問題に関する記事が掲載された。配給も遅配・欠配が相次ぎ、食事のとれない欠食児童や、栄養失調による欠勤者が目立つようになった。

写真は、現在の横浜市中央図書館辺りから桜木町駅方面を撮影したもの。右下にカーブを描く野毛坂、左には成田山別院の参道が見える

(横浜市史資料室所蔵)

オール横浜総合芸能コンクール

11月23日撮影

横浜公園野外音楽堂で「オール横浜総合芸能コンクール」が横浜市、横浜観光協会、横浜市復興会、神奈川新聞社の共催で11月23日から3日間開催された。横浜在住の芸能人が晴れの舞台で日ごろの成果を競い合い、落語から手品、ジャズ、シャンソン、クラシック、歌謡曲、浪曲などあらゆるジャンルの芸能が繰り広げられた。横浜の半井市長は「市民に潤いをもたらしたこの機会が国際都市横浜の姿を取り戻す力になるだろう」と挨拶。観衆は連日千人を超える盛況だった